さとりのしょ#3


注意!:書かれてあることは全て冗談です。信じてしまいそうな人はご遠慮ください。

苦しみから逃れる方法

 悟りは単なる「受け入れがたいつらい真実」ですから、誰もこれを求めてはいません。悟りを求めているつもりの人は、実は悟りではなく全く逆の、苦しい人生を楽に生きるための夢のある嘘を求めています。このホームページでは、夢のある嘘を語るつもりはありませんが、苦しくなくなる方法を提案し、悟りに至った人の救いとなることにもチャレンジします。これまでのページに書かれていることを理解した人は、さぞかし落胆しているでしょうから、せっかくここまで読んだ人には救いも必要かと考えます。これまでのページについて理解してない人や、反論があって受け入れたくない人には、この先を読んでも全く救いにならないし、そもそも落胆していないのだから救いも不要です。よって、ここからはつらい真実を受け入れた人向けの話題です。

 真実を受け入れた方には簡単に出来ることですが、あきらめることこそ究極の救いです。「なぜ生きるのか」と考えるのは、生きる理由が存在するという決めつけが先行しているわけですから、これを排除したら、自分は生きても仕方がないという真実に直面します。ここで、せっかく到達した真実と戦い、また新しい嘘を考えようとするから、矛盾が生じて苦しむのです。苦しまないためには、生きる必要がない無価値な自分に満足し、あきらめてしまえばよいのです。あきらめて死ねと言うことでは決してありません。生きる価値がないどころか、死ぬ価値すらない事に気がつけば、あきらめもつくことでしょう。

 人間の例を出すと人権関連で問題を起こすかも知れないので、極力動物に例えてこのあきらめるという行為を説明します。例えば人間は飛ぶことを夢見ることはあっても、飛べないことを嘆いたりはしません。はじめからみんな飛べないのですから、自分だけ飛べないと嘆く必要はないのです。でも、カラスは最初から飛べますから、翼をケガして一生飛べなくなったら、カラスは飛べないことをさぞかし嘆くでしょう。いくら嘆いても、永久に飛べるようにはならないとすると、このカラスが救われる方法は、飛べないと言うことについてはキッパリあきらめ、忘れてしまうしかありません。飛べないことをクヨクヨ悩み続けるかどうかは本人次第であって、飛べないことに満足し、あきらめてしまうことこそ、そのカラスにとっての救いなのです。

 生きる理由を失って嘆いている人間の場合も同様に、生きる理由がないことをあきらめるしかないのです。探せば見つかるのであれば、是非とも探して見つければ、それは飛べるようになったカラスと同じで、最も良い結果といえます。しかし、探しても嘘しか見つからないと証明できた人にとっては、探すという行為が逆に、探しても見つからないという苦痛に変わってしまうのです。探せば探すほど、その度に自分には生きる価値がないという現実にぶつかって苦しまなければいけません。同じ発明を何度もする必要はなく、生きる理由など存在しないという真実に一度到達したら、これ以上繰り返し同じ壁にぶつかって傷つく必要はありません。あきらめていない人はついつい同じ壁にぶつかります。あきらめるとは、満足し、許すことです。何もない自分に満足し、何もなくても許して、苦しむのをやめましょう。

 口では人生「ろくな事がない」と嘆いていている人でも、実際は何か良いことがあるんじゃないかと期待し、あきらめきれないからこそ、いつまでも「ろくな事がない」という現象にこだわり、わざわざそれを嘆くのです。人によっては、本当に「ろくな事がない」でしょうが、「ろくな事がない」とあきらめ、許し、満足し、もうそれにこだわるのをやめるべきです。ろくな事がなくて当然、楽しい事は起らなくて正解です。幸せを求めるからこそ手に入らなくて苦しみます。実際、求めて手に入る物は求めればいいのですが、どうしようもないなら真実とは戦ってはいけません。「嘘」は絶対に「本当」を覆すことなど出来ません。「ろくな事がない」のが真実だと思うなら、嘘で覆そうと戦えば必ず負けるので、負ける度に必ず苦しみます。必ず負ける戦いは苦しいだけなのでさっさとあきらめましょう。真実は強敵です。真実を負かす事ができる嘘は存在しません。どうせなら嘘と戦いましょう。嘘は必ず覆すことが出来るので、戦えば必ず勝つことが出来ます。

 人は皆、何らかの美学を持っていて、自分はどう生きるべきだとか、どう生きれば格好良いかとか、ポリシーは人それぞれなので、あきらめるとか逃げるとか言う行動を嫌う人も多いでしょう。勝てる戦いから逃げるのもあきらめるのも損ですが、勝てない戦いを続けるのも損になります。逃げないこと、あきらめないことが美学になり得るのは、戦いに価値がある場合のみです。嘘という武器で真実と戦うことには価値などないのですから、それはすぐさまやめるべきです。戦わないことが最善ですが、戦ってしまっている場合は、やはり逃げるなりあきらめるなりする事が次善となるでしょう。宗教上戦わなければいけない人や、自分で決めた格好いい人になりたいなら、苦しんで戦い続ける必要がありますが、ほとんどの凡人には必要ありません。凡人ではないと思い上がっている人専用の美学は不要です。とある聖人は「満足した豚であるより、不満足な人間でありたい」と説きましたが、人間であることが豚であることより価値があると考える聖人の言うことですから、そもそも嘘を前提として考えたもっと大きな嘘です。人間であるということが豚であるということより優れていると勘違いした人は、たしかに不満足でなければ生きた価値はありませんね。彼のような勘違い聖人を目指さない人は、豚と同等の価値しかない自分に満足し、苦しむのをやめるべきです。それでもこの思い上がった聖人が豚よりは格好いいと思う人は、苦しみと戦いを続けるしかないでしょう。全ての苦しみから逃げるのはよくありませんが、嘘をつく事による苦しみからは逃げたほうがよく、それはあきらめて真実を受け入れ満足することなのです。

 そうやって苦しいことから逃れても、楽しいことが降ってくるわけではありません。しかし「苦しくない」という現状は、苦しんで到達した成果ですから、これに到達できたことが楽しくなるはずです。この到達点は苦しみのゴールですが、人生のゴールではなく、むしろこれからどう生きるか、自分で考えるスタートでしかありません。でも、書きたかったお話はこれでゴールです。悟りについても、悟った人への救いも書きました。

 掲示板などは設置しません。匿名で文句や感想等を寄せても、私がそれを削除出来るようだと、もし議論になったとしても不公平です。かといって、どちらの管理下にもない場所での議論もはた迷惑です。自分の考えは自分のホームページやブログに書いて、こちらにリンクするというのが、ネット上では公平かと考えていますので、そういう形でお願いします。お互い、不快なら見なければよいという解決も出来るので最善でしょう。


さとりのしょ#1 さとりのしょ#2 さとりのしょ#3